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創業時事業計画を学ぶ(1) まさかあの計画も

東京駅18番・19番ホームには新幹線プロジェクトに尽力した十河信二第4代国鉄総裁のレリーフが旅立つ我々を見送るように立っています。1964年10月1日に東海道新幹線は開業を迎えたその日、新幹線プロジェクトに尽力した十河信二と島秀雄国鉄技師長は自宅で開業式典を見ていたとされます。東海道新幹線プロジェクトの大幅な予算超過に対する責任を取って二人は国鉄を去っていることが理由です。ただ、新幹線建設プロジェクトは見積もられた総工費3300億円に対して国会へ承認を求めた予算が1972億円(出典はWikipedia 十河信二の項目)であることが要因であり、十河がこのような手段を選択せざるを得なかったのは当時はすでに国鉄が斜陽産業に陥りつつあったことから、すべての投資要求に応えることが出来るだけの資金確保が困難であったことによる、とされています。
 ここで、1960年代当時の鉄道に対する評価を述べますと、鉄道は19世紀の乗り物であり20世紀は近距離は自動車で遠距離は航空機の世紀とされています。要するに国鉄に限らず鉄道そのものが斜陽産業と評価されておりました。あとの評価で言えば、新幹線プロジェクトに関して言えば少なくとも鉄道の寿命を50年は伸ばすことが出来るようになり、世界各地であまたの高速鉄道プロジェクトを生むことになりました。要するに1960年代の鉄道に対する評価をひっくり返す結果となりました。ですが鉄道ルネサンスは後千惠の話であって進行形の話ではなかったのです。ここでは3300億円をどう見積もったのかということと、3300億円をどのように調達するかということになります。色々なことがありましたが、佐藤栄作からの助言による世界銀行からの8000万ドルの借入と田中角栄の尽力で予算不足は解消します、ということで勘弁してください。
 ここで創業時事業計画を考える際に必要があるのはいくら数値だけを組み立てても説得することはできないということです。東海道新幹線プロジェクトの場合は「斜陽産業」である鉄道に対して資金を出させるのに何もない中で説得させる必要があるということです。その為かどうかはわかりませんが0系新幹線電車に採用された方針は島技師長曰く「新技術を採用しない」ことでした。0系新幹線電車は「銀河」爆撃機を模したとされる独特の前面形状から始まって従来の電車に採用された技術の集大成である足回りに至るまで新技術はありません。我々は創業計画を立てるときにとかく過去との非連続性を追求することがありますが、過去との非連続性を重視すると「実現可能な合理的な計画」を見失う事があり得ます。未経験な事柄の妥当性を検討するのは論理によるしかないと思います。
 東海道新幹線プロジェクトは鉄道の寿命を少なくとも半世紀伸ばし、鉄道が航空機と対抗できる距離体が存在することを示し、高速大量輸送手段が存在することを示したが、最初に新幹線プロジェクトを立ち上げた十河総裁や島技師長がそこまで考えていたかについては私にはわかりませんが、歴史を変えた結果になりました。ここは余談ですが、1時間に最大11本の高速電車を走行させる東海道新幹線は他国の高速鉄道とは異質です。

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